冬虫夏草の咲く頃に
「もう終しまいね、あたしたち」
昼下がりの歩行者天国で、立ち往生したふたり。明菜は目に涙をいっぱい溜めて、融を睨んでいる。
「ああ……」
ため息を吐くように融が答えた。そんな悲しい瞳でボクを見るなよ。君じゃなくて、こっちが悪人みたいじゃないか。彼はでかかった言葉を呑み込む。
「さよなら」
明菜がクルリと背を向ける。まるでドラマのヒロイン気取り。悪いのは君の方なのに、いくらなんでもボクの友達とデキたりはしてほしくなかったよ。それを責めたボクを あっさりと人ごみの中に捨ててゆく。
融は唇を噛んだ。高一の頃からの付き合いだった。向こうが一方的に告白してきて、頷いたのが始り。それが大学が違って三ヶ月、あっけない幕切れ。
見上げた空は初夏の日差しが眩しいばかり。
トントン。
背後から融の肩を叩く者があった。
「何だよ?」
ケンカごしに振り返った。
「あの~突然ですが、冬虫夏草とかは、お好きですか?」
グッと、ニコニコ顔が突き出された。まだ若い、善意の固まりが服を着ているような男が立っていた。さながら信仰篤い牧師といったところだ。
「はあっ、トーチューカソー?」
融の頭はパニック状態に陥った。
「まあ、お若い方ならあまりご存知ないかも知れませんね」
男は蜘蛛の脚のように細長い手を背広のポケットに差し入れた。煙草の箱のような物を取り出し、無造作に破いて融に渡した。細長い肌色の紐を頭にくっつけたイモムシが、カラカラに干上がって一束にくくられていた。
「うわっ、虫だっ!」
融が放り投げたのを、男は見事にキャッチ。
「おっとっと、困りますね、お客様、大切に扱っていただかないと……。これが漢方薬として珍重されている冬虫夏草、コウモリガの妖虫に生えたキノコです」
「キノコだって?」
融が目を丸くした。
「はいはい、お客様。しかもこのキノコ、生きた虫にとりつき、その虫を殺し、その栄養で成長する殺虫キノコなのですよ。名前の由来も冬は虫になり、夏は草になるところから来ておりましてね」
男は薄い唇を閉じたまま、ニッと笑った。
「今お見せしたものだけでなく、冬虫夏草はたくさんの種類があります。しかも、日本はキノコの国です。さあ、あなたも『冬虫夏草探索ツァー』に参加しませんか?」
「ちょ、ちょっと待って……ということは、あんたは、もしかして旅行会社の勧誘員では」
男に押しまくられていた融も、やっとここに至って気付いた。
「おや、バレてしまいましたか」
男は瓢瓢として言う。
「ツァーと申しましても、決してお客様にご損はさせません。わずらわしい都会の喧騒から離れて、森林浴とキノコ狩りを楽しみながら、もし珍しいキノコを発見すれば我が社から賞金も出ます。いかがでしょうか? 森はあなたの心を癒し、旅には新しい出会いがあります」
ズキッ。
融の胸に痛みが走る。人ごみに消えていった明菜の影が過った。
この男、自分が失恋した現場を見ていて、声をかけたんじゃないかと疑いたくなる。いや、多分そうだろう。
「けど、新しい出会い……かぁ」
融は遠い目をした。自分をフッたヤツのことなんか、早く忘れて新しい恋をすればいいじゃないか。でなきゃ、この一夏、どっぷり暗く過ごさなければならない。
傍で、男は水飲み鳥のようにコクコクと頷いていた。
「それもいいかも……」
ポン。
と、男が手を打った。
「さすがはお客様、ご契約ありがとうございます」
融が我に返った時は遅かった。
☆
「騙されたっ!」
融は両の拳を震わせた。
『冬虫夏草探索ツァー』はまだ夜も明けない時刻に寝惚けたままバスに乗り、揺られ揺られて数時間後、目的地に着いた。
そこは鬱蒼とした森、というより林に近いような気がした。行く手はなだらかな丘陵になっている。
しかも、いや、実はこれが一番問題だったりするのだが――。
「学生さん、皆さん、もう出発しましたよ」
声を掛けられた。
バスの中で隣になった老夫婦が融を振り返って見ている。確か佐伯という名字だった。
「あ、はい……」
融が歩きだすと、セカセカした様子で男、佐伯老人の方が近づいてきた。吹き出す汗を拭いながら、いかにも中小企業の社長といった風の人の良さを押し売りしようとする。
「お若い方でも、キノコ狩りなんかに興味があるとは珍しいねぇ。私なんか、妻に催促されなければ、こんなツァーには参加する気にもならなかったよ」
そうなのだ。
このツァー、新しい恋の出会いを期待しようにも、中高年のオジチャン、オバチャンばっかりなのであった。融はバスに乗っている間中周囲から好奇の視線を浴び、寝たふりをしている他無かった。そのうち、本当に寝てしまったのだが。
「あなた、学生さんには学生さんの事情がおありになるのよ」
佐 伯夫人が振り返った。
(ああ、三十年前に会いたかったです)
融はため息を吐いた。
彼女はしとやかな、本当に美しい老婦人だった。暑くなり始めた日差しの中で、涼やかに佇み、優しい微笑を湛えている。
「私は無趣味でね、仕事を息子に譲って、引退してしまったら、そりゃあ毎日暇で暇で……」
佐伯老人はお構いなしにまくしたてる。
緑の草の匂いが次第に強くなる。
かなかな、と蜩が鳴きだした。朝露を含んだ空気が青く透けて見えるようだ。
「不思議な生物でしてよ、キノコは」
佐伯夫人の声が小鳥のさえずりに重なった。
「え、はい?」
幻惑に似た目眩いから、融は我に返った。
「たいていの方はキノコを葉緑素を持たず、花の咲かない植物くらいにしか思っていないのではないかしら」
「違うんですか?」
「ええ、キノコの属している菌類は動物や植物と並ぶ立派な生物ですわ。植物が生産者、動物が消費者とすれば、菌類は植物や動物の遺体を分解し、無機質に帰し、そうして自然というサイクルは巡ってゆくのです」
とても誇らしげに、佐伯夫人は言った。
「あの、教師とかされていたんですか?」
融の問いに、夫人は皺ひとつない頬をうっすらとバラ色に染めた。
「あら、いいえ。私も付け焼き刃ですのよ。ただ、キノコは知れば知るほど面白くて、私も主人のことがなければ……もっと早く……」
ふと口ごもり、佐伯夫人は目を伏せた。
「あの人は私がいなければ何も出来ない人、残してゆくわけには行きませんでしたの。でも、これでやっと……」
「佐伯さん?」
融は不安になって呼んだ。このまま、夫人が緑の中に溶けこんでしまいそうな、そんな気がして……。
「おーい、おまえ、このキノコは食べられるのかい?」
夫の呼ぶ声に、夫人はゆっくりと目蓋を上げた。口元には慈愛とも憐憫ともつかない微笑が浮かんでいる。
ああ――。融はわかったような気がした。彼女が長年連れ添った夫に与えるもの、それは許しなのだ。
「あらあら、あなた、それはテングダケの仲間ですから、猛毒を持っていますよ」
樹の根元に屈みこんでいた佐伯老人がビクッと手を引っ込めた。
カサッ。
その時、融の足元で音がした。小さな虫が落ち葉の間から這いだしたのだ。
茶色の殻を鎧のように着た蝉の幼虫だ。だが、頭に奇妙なモノを付けていた。
ヒョロヒョロと薄緑色の管が頭から伸びて、その先端に綺麗なオレンジ色の胞子が王冠のように飾られていた。
「これは……」
融はよく観察しようと幼虫を手に乗せて、立ち上がろうとした。
無音の音。
胞子が飛び散った。刹那、オレンジ色が陽の光の中、キラキラと舞う。
「あーあ」
融はひどく落胆した。蝉の幼虫は動かない。もしかしたら、動いたように錯覚しただけで、もともと死んでいたのかもしれない。
「どうかなさいました?」
佐伯夫婦が近寄ってきた。
「いえ、何でもありません」
イタズラを見つかった子供のように、融は後ろに手を隠し、虫を捨てた。
☆
話し声が聞こえる。
最初、そう思った。
それは、佐伯夫人の抑揚のない、澄んだ声に似ていた。
だが、少し違う。
水の音、なあんだ、水の音だったのか。
答えが見つかって、再び眠りへと引きずり込まれそうになった。
待てよ。
心の警告が発せられる。
ここはどこだ? ボクは――誰だったろうか?
急激な覚醒。
融は薄暗い部屋にいた。高い天井は木肌のままだ。柔らかな布団の感触、草の匂いがするような畳、真っ白な障子戸。そのどれにも見覚えが無かった。
そして、しとしとと降る雨の音だけが、静けさを演出していた。
「痛ててっ……」
融は布団から立ち上がろうとして、右足に激痛が走った。
痛みが記憶を呼び起した。
佐伯夫人に教えてもらいながら、キノコを採っていたのだ。するとだんだん面白くなった。気がついた時はツァーの一行からはぐれ、集合時間もだいぶ過ぎていた。急いで戻ろうとして、返って山の中に迷いこんでしまったのだ。
カラッ。
不意に、障子戸が引き開けられた。
「やっと目が覚めたのね、良かった」
華やいだ声。
最初に目に入ったのは、女の抱えているヤマユリの花束だった。清楚で、気高い、毅然とした花――それは彼女そのものだった。
髪が長い。丈の長いシルクのワンピースがすらりとした肢体に纏いつく。淡雪のように消えてしまいそうな肌の白さ、その中で唇だけがほんのりと紅い。
「あなたはこの近くの沢のところで倒れていたのよ。夏だから凍死はしないでしょうけど、足に怪我してたから私の家まで運んだの」
女は床の間の花瓶に百合を生けながら話した。
「あ、ありがとうございました」
融は頭を下げた。経緯を説明したが、女はただ笑みを唇に含んだまま聞いていた。あまり興味はないということだろう。
「お腹すいてない? ご飯の支度をするわ」
女が立ち上がった。
ほどなくして女が膳を運んできた。
ぼんやりとしたランプの灯の中で、女のまかないを受けながら食事をする。聞けば、山奥なので電気も通っていないという。融は一昔前の日本にタイムスリップしたような感覚を覚えた。
料理はキノコずくしといって良かった。炊き込みご飯、吸い物、炒め物、お浸し、サラダには、名前も知らないようなキノコがたくさん使われていた。甘ったるい匂いが食欲をそそり、融は勧められるままにキノコ汁を何杯もおかわりした。
食事が終わると、融は生欠伸をした。お腹が満ち足りて、再び睡魔が襲ってきたようだ。
「ゆっくりとお休みなさい」
女が優しい手つきで布団をかけながら言う。そして、まるで子守り歌のように、雨は降り続く。
☆
あれから何日経ったのか――。
ぼんやりとした思考。数えてみようにも、融から時間の感覚は失われていた。
最初のうちは、心配しているかもしれない家や旅行会社と何とか連絡を取ろうと焦ったこともあった。だが、すぐにどうでも良くなった。どうせ、誰が待っているわけでもない。彼女――明菜も自分のことなんか忘れているだろう。
細かな雨は降り続き、木の家屋に湿気が満ちている。今はそれが心地いい。
融は縁側に出て、雨にけぶる庭を眺めるともなく眺めていた。花も草も木も自然のままに繁茂している庭から、むせ返るような緑の匂いが運ばれてくる。
スーッ、と融の目線のラインを過るモノがあった。
力強い羽音とスピード。
あっ、オニヤンマだ。
融は思わず立ち上がって、目で追った。オニヤンマは部屋の中に飛び込んで、縦横無尽に飛び回っている。壁すれすれで旋回し、舞い狂う。懐かしいときめき、子供のように心が躍る。
けれど、それは一瞬。一瞬あとに、見失い――フツリ、と音が止んだ。
静寂が返ってくる。
何処だ? 何処に行った……。
融は薄暗い空気をかき分けて、中を見回した。
床の間に、黒い斑点を散らした緋色の百合が、緑の茎を垂れている。花の下に、オニヤンマはいた。線のように細い6本の脚でしがみついたまま動かない。
そっと融は近づいた。奇妙な静けさが不安を煽る。
四つの透明な羽は下に閉じられ、複眼は空虚の色にきらめく。
「どうして?」
誰にともなく、問いかけていた。
死がそこにあった。あまりにも唐突に、訪れた死――。
オニヤンマは動かない。
ただそれだけのことだ。
雨降り続いていた、彼の上に……静かに。
☆
「ヤンマタケというのよ」
女が上目使いで融を振返った。夕闇に溶けた唇が、ヤマユリの朱色と重なる。
融は既に死んでいる筈のオニヤンマの変化にことの時初めて気付いた。
尻尾か反り返り、関節の間から柔らかな朱色の棒のようなものが幾つも突き出ていた。草の芽のようにも見える、ひ弱そうなのに、生命力に溢れている。
「これがキノコ?」
あまりにも融の抱いているキノコのイメージとかけ離れている。
「ええ。冬虫夏草の仲間よ」
女の静かなその言葉に一瞬ギクリとした。
「どうかなさいました?」
見透かしたように女が言う。
「あ、いえ、その……なんとなく因縁めいたものを感じて……そもそも僕がここにいるのも、冬虫夏草ツァーのせいなわけで」
言葉を濁す。違う、そんなことじゃない、と思う。
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続く……というか、何度か試行錯誤しては止まってます^^;
冬虫夏草というのは、時々栄養剤的な薬品にも成分として入ってるのを見かける。
近くの図書館で借りた高校の理科の教師をされていた方が、理科を面白く語ってくださってる中の題材のひとつとして取り上げてたのが、印象的にずっと残っている。
ちゃんと書き直してみたいなぁ~といつも思う。


