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Monday, May 17, 2004

惚れられていたなんて(1)

それは後になって知ったこと。
あの頃、彼がワタシを好きだったなんて少しも気づかなかった。

大学からアパートへの帰り道の途中に、夏の花の名前のついた喫茶店があった。
数年間、ただ通り過ぎていた道。
初めてその店の前で立ち止まったのは、アルバイト募集の貼り紙を見つけたから。
こんな店あったんだ……。
マッションの1階の道路から奥まった入り口は、少し拒否的な感じさえした。
カウベルの鳴るドアを押して、薄暗い店内に足を踏み入れたのは数日後だった。

いわゆる一見さんより、常連さんがとても多い店だった。
一見さんは大抵ボックス席に座る。
カウンターを取り囲むのは、勿論ほぼ常連の皆さんばかり。
マンションに住む奥さん方や地方の有名デパートの役職に就いている夫とその妻、愛人専科の色っぽい女性たちは時折脂ぎった不倫相手を伴って現れた。
競馬と釣好きのタクシーの運転手ご一行、真面目そうな中年のミシンの販売員、くたびれた顔の新聞勧誘員、隣のビルのヤの字の組員さんたち、そのヤの字の会社の頭の軽そうな秘書がコピーを頼みに現れたりもした。
昔学生で通いつめた元常連さんたちが時折思い出したように顔を出す。
その中で、一番年が近かったのは、近くの有名私立高校の学生たちだった。私服で、親はやっぱりそこそこの地位とお金を持っているのだろうと思える育ちの良さが学生達にはあった。

内気で、決して社交的とは言いがたい、通称サコちゃんが、常連さんたちの顔と名前を一致させ、勝気なオーナーのママさんの横で、ニコニコ笑っているのにもやっと慣れてきた頃。
ママさんがタバコに火を点けながら、唐突に聞いてきた。
「ねえ、サコちゃんは彼氏とかいるの?」
「いません、そんなもの」
言下に否定していた。
「やっぱりね」
ママさんは煙を吐き出しながら、訳知り顔で笑った。
「えっ?」
「だって、ちっとも化粧ッ気が無いもの」
「お化粧と彼氏と関係があるんですか?」
「サコちゃんも彼氏が出来たらわかるわよ」
「ワタシ、たとえ彼氏が出来ても化粧なんてしません」
頑なに否定する。
素顔に自信なんて無かった。自分をとりたてて魅力的だと思った事も無い、普通という言葉に埋もれている。
「恋をする女は化粧をして、変わるのよ」
ありえない……漠然とそう思う。言葉にはしなかったけれど。
黙ったサコに、ママさんは大人の余裕を見せて言った。
「何年か後、アナタがもっと大人になった時に、もう一度聞いたら、きっと別の答えが返ってくるわよ」
予言めいた目の光が薄い色のサングラスを通して、サコを見ていた。
若さへの嫉妬を密かに内包して……。

                                     ***明日へ続く***

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